2021/10/03

 彼は川で、対岸を見ている。その向こうの山。空。雲は夕闇にほどけて、消えかけている。水の音がずっと聞こえる。流れ。彼はさらに向こうを見る。日は落ち、飛行機雲が金色に線を描く。すべては夜になる。ぼくが彼を見かけたとき、彼は薄暗がりのなかで、まだ空を見ていた。
 ああ、もう戻れない、と彼は思う。これっぽっちも動けそうにないんだ。なにもかもが見えなくなり、それがほんとうの見るということだと、彼は悟り澄まして、干からびていくような心地がしたものだ。どんな音も、ずっと聞いていると聞こえなくなる。彼はポケットから絵の具を取り出す。その絵の具が何色だったのか覚えていない。手のひらにすべてを出し、左の頬を塗った。
 明るくなってから、暗くなり、火と水が等しく混ざりあい、あらゆる対するものがひとつになろうともがき、くるしみ、頬のあざやかな赤が、画面いっぱいに映し出される。
 生徒たちは、寝ていたり、机の下で漫画を読んでいたり、大福を食べていたり、配ったプリントを粉々に引き裂いていた。部屋の隅に水たまりがあって、天井の黒いしみから、ぽたぽたと水が垂れている。外は嵐だ。映像は裸の女を写す。生徒たち、とくに男子生徒たちの目の色が変わる。しかしそれは、マネキン人形だった。ズームアウトしていくにつれ、腕と脚がありえない方向へ曲がっているのがわかり、関節部から、血が滴っていた。
 先生は言う。「この世界に意味はないと、誰かが言ったとして、それを真に受けるにしても、じっと耐え、意味を見出そうとするにしても、きみたちの運命は、この映像の中にある。映像というのものは、すべての解体されたもののなかで、もっとも構築されたものだが、神や、その正反対のもの、あるいは森や海、石や雲、◯◯や△△、わずかに接近し、同時に突き放すもの同士、そこから文字があふれるにせよ、イマージュが溢れるにせよ、すべては決まっている。きみたちの声、きみたちの若い性器、きみたちの情熱、きみたちの絶望、すべてはこの中にある。すべてはこの中にある。すべてはこの中……」
 ひとりの生徒が突然立ち上がり、拳銃を校長の脳髄に向ける。一ミリたりともずれていない、と先生は思う。
「なにもかもが引き裂かれた、終わりにしよう、わかってる、ぼくらもまた、映像のなかの人間であることを。それを甘んじて受け入れて、すべてを終わりにしよう。そこから始まるのだから」
「始まらないさ」校長は自ら舌を噛んで絶命した。

 1994年、彼は産まれた。