2021/11/28

 風を受け、その風が数億に分離する感触を、みずからの細胞が泡立ちながら澄ました顔をしてずっと向こうから歩いてくる人の視点で、ぼくは点になる。肉は日に日に朽ちていって、いまでは電子計算機のみが、ほろほろしながらもありえない数式を組み立てる。モーツァルトにだって足はあった。きっと毛もあっただろう。でも、ぼくはシューマンとともに、こわがっていたんだ。みな石になってしまう。化石、と呼べば、少しは風が吹き抜ける。内部には、銀河系の星々が、いくらかふくまれているかもしれない。
 魚、と呼ばれることがこわいと、先日書いた。書いては消し、書いては消しを繰り返すことで、魚、は、水、になった。透過してゆく光は火花のようにかけ巡る。オゾン層も、きれい。放射能も、きっとよろこんでいる。
 ガンガンガンと、部屋の壁に打ち込まれ、いつしかそこが隅になり角になり、過ぎゆく軍隊式の人々も、きっと気づかないばかりか、やがては空(くう)となって、やはり風が吹き抜けるだろう。ぼくは風が、体液からできていることを知っているから、軌跡をたどってゆけば、きみの住処に着くことができる。いつまでも、ぼくの中にある声や記憶や言葉になることを拒んだものが、風化せずに、でもあり続けるのではなく、読まれることをわすれられた本のように残ることも、知っている。だからぼくは、安心して橋から降りることができたんだ。