揺籃

 かたちのないもの、意味や、音だけのもの、考えて、耳をすます。家という家が、洪水によって、そのどろどろとした濁流によってぐちゃっとつぶれながら流されてしまうように、この部屋で、見えるものが、見えないものになってゆくように、けれど決して、透明になるのではなく、とけてしまうのでもなく、空気やそこにふくまれるちりやほこりなどといっしょに、濃度はそのままに、もしかすると色水が混ざるように、あの砂とこの砂が掻きまぜられるように、轟音の手前で、あらゆる予兆のただ中、まったくこれっぽっちも関係がないというように、始まったのだ。この体、ただただあるというだけでよかったはずの体、絶えずかすかに揺れている体は、よく見ると流れている、感覚だけが、言い知れないむくろとして、ほのかな文字以前として、想像することができた。もちろん想像も、笑い声も、うつくしいと感じたときの忘れがたさも、もうこの部屋では通用しない。確かにあるのは、かたちのないもの、その中を、泳いでゆくように、体が、ではなく、水が、泳いでいるように。紙を引き裂いたとき、なにかが終わったと、すくなくともぼくには、感じとることができたから、もうなにもなくても、それが、始まりだったから。