2021/10/13

 書史を学ぶために体を横たえる、このとき初めて全世界の閉域からの逸脱を覚える、かすかな雨が地に突き刺さって、歩くことをむずかしくする、ご覧なさいこの体この血この視神経は絶えず衰え、かれらは広がってゆく、ぼくの手に負えない、おぞましいイメージも虚無から虚無へ行き来する、この通りのおぞましい心象を裂いて、肉を超えた青いぬめりに手を入れて、最初から始めようとするんだ、ひとごろしをころしてころすことをころしてかれらはあたたかいきもちになっていつまでもいきられないことが冬の結晶のめくれあがる破裂、(それはスローモーションで光の質と量も)、破絶、という造語の不快をぼくは知った、どんな悲しみも溶鉱炉の前では、遥か遠くの星の屑にもなれない、血の匂い、甘くて、道を知らない、切り取ることでさらに失われる風景は、何も求めてないからずっと見てられる川が流れる水は淀む叛逆する空はずっと変わり続けてあるから変わらない、ぼくの部屋は小さく打ちのめされた、遠くでだれかが呼んでいる、呼んでいる。

2021/10/12

 やがてかれらは ぼくの前 いなくなる 声につよさがない 信じることはつらいからね セメントに足が ほがらかな歌声 亀裂の入った空には体の輪郭がないから ざらついた足音の どこかで燃える幽林からっぽでこわれて部屋の隅に立つ少女の結び目がぼくの目との距離にあって 空虚に 山と海の波動のない平野に 世界の混乱がある ざくろの破裂 便器のなかのむすうの瘤 花開く瞬間のわずかなためらいに滴る水滴の絶壁 駆け登っていって階段が崩れるままに魚は息をする棲家のところどころからあふれる火の粉の耐え難さ やがてくる終わりのために 町々では風景画家が息をひそめている 苦しい夜 それは部屋中がめくれあがって血の肉が傷んでいるからだ 狂熱はきょうも穏やかで 咎められる生活の無さ あるいは地盤の崩れた虚 ヘンリーミラー いつまで書くんだ 雨は強く 虫歯が痛む 狂熱が発火する 太陽が落ちてくる ぼくは研ぎ澄まし 終わることを終わらせる

2021/10/11

 部屋のなかに黒い部屋があって、暗くなる時間、ドアが音もなく開かれる。愛情や憎悪のしずまったこの時間、そっとぼくの胸のなかに手を入れて、大切なものを持ってゆこうとする。光差す天使の純朴さよ、どろどろとした悲しみは油田のように尽きないから、夕日が落ちた影の雲のさらにずっと向こうで待っている神さまと称される絶対の方へ帰りなさい。この町ごと漂流してしまえば巻き込まれたのだと言えるかもしれないが、そんなに簡単にせかいを肯定したり否定したりすることに何の意味があるのか。あらゆる怠惰を栄養源にしている虫たちの鳴き声、色のなくなった風景、そこからどこにも行けないよ、忘れられたぼくと、思い出されることに気づかないきみは、隔たりなく関わろうとするが、いつになったら壁があることに気づくのか。でもきっと壊せるって、壊してどこかへ行けるって、魚たちが言っている、ずっとフィルムのついた画面に張り付いて……やがてくる終わりのために、そしてやがて来る次の終わりのために、言い訳を考えているということ……暗い部屋のドアがひらかれる、そこにはもうひとりのぼくがいて、途方もないことを考えていたから、忘れ去られた記憶が、風景のなかにとけ込んで、ぼくたちがいなくなっても、何の心配もないって、絶対者が言う、見ることを失った見るが概念のように世界中に散らばり、ひとびとがいなくなった1994年、風と光は逆光を顧みずに、山で泳いだり海で歩く天使たちを、まったく別の次元へと高めつづけるのである。

2021/10/10

 空の雲は砂糖でできていて、あんなに夕暮れほどけている逆光してる、人の顔がどこにもないと思ったらここにあった。さらさらと流れている、それほど巨大なものはないとひとびとが口にするとき、ぼくは台風の目のなかにいる、台風にとっての。ざらざらしていた肌は剃り残しがあって、きっと抱きしめ合うと思っていたんだね、きもちわるい、手にふれる、すると足が加速する、記憶は「き」「お」「く」と呼ばれていた、空は「ゾラ」とよばれていた、ぶ、と呼ばれていた、きこえない、と呼ばれていた、町角で流転する、老人たちが溺れてたのしそう。メロンとか、けむり、感触だけではどこにも行けない、からだにはぜんぶ知れない知らない遠くにいる友だち、とも呼べない、すうっと天井を濁らせている、からだは横たわる、右と左はないが東西南北はある、赤血球はある、白血球はどうか、やがて来る、と言うもの、こと、感情やひらめき、わすれようとしてどこにも行けなかった、大阪万博、広島の空で、男が見下ろしている、川にはとけたひとたち、皮ふをすーっと切って、赤い肉がめくれ、血は赤黒く、そのうちに夜ととけあって、星が川の水と同じ光と影の混合物となる、ああどんな夜も、朝になる頃には忘れ去られ、川の記憶はない、流れ続けているから! 影がたおれて、花はしなびて、男たちは勃起する、すべては再現できる、やがて来る日々、一年や二年では、世界は流転しない、いつまでもこの部屋は、大地とつながることはないと言うとき、地響きがして、何度も錯乱していた少女の、手をかり、山をみ、竹林が誘っている、貧弱な朝、セメントはぼくの心象を固める、ぼくの行為を破る、ぼくは煙のなかに消える、やがて来る時間の重さ軽さは、だれも救うことができないかもしれないとひとびとは言うが、ぼくはあきらめていない、少なくとも人形たちはまだだれもぼくに話しかけることをしなかった。

2021/10/08

 青空の中に夕暮れがあった。鳥は銃弾のように飛来し、川の上流から下流へと、ねばっこい油が流れている。眼が山を焼き焦がすとき、いちもつが空を突き破ろうとする、ああ、そうやってせかいはひっくりかえって、突かれているのはぼくだ。やめて、やめて、兄さん、服を破ろうとする兄さん、もうだれの服なのかわからない、樹木は油絵のように生々しく、枝葉と呼ぶにはあまりにも大きすぎる、そしてここからは遥かな女たちのうめきざわめきその燃え立つ瞳、ああやめてやめて見ないで、男からも女からも逃走する、銀のなめらかな鱗を持つ魚たちが一斉に飛び跳ねて、体中のじんましんからタチアオイが咲く、裂かれた、やわらかい皮ふを持つきみは、もうそこにはいない。わかってるんだ、読むことも書くこともできないって。わかっている、ぼくは多数派だ。星と星がこすれあって、気持ちいいね、きみのまつ毛を食べるみたいで、ほとんどの声はどこにもなかった、あるのは埃と、ごはんつぶと、海だけ。海! やがてくる渇きを、海は拒絶する。あまりにもちいさな町、老いとやわらかな成長、管弦楽団が静止する、あ り え な い 、窓からきこえる、窓のガラスから聞こえる、ガラスの粒子から聞こえる、ぼくの耳から聞こえる、こうやって、ね、潰すんだよ、からだをね、忘れるまで。

2021/10/05

すべてをうしなって からだも 肉体も なにもない それでいい どこまでも行けると思っていたけど それは全体から個をひきちぎることなのか 全体がなければ個はないのか ぼくはなんだ これから先 しずかな毎日 なにもない これ以上壊すのか 風景 写真 映像 ぼくはどこで なにもできない

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 からんころん、となって、ぼくのからだがころがる。砂はざらざら、きこえるのは葉がこすれる音、水が流れる音、それから、からだのなかの。部屋にはわずかな塩だけが残っている。いつか雨が降って、隅に置かれた人形がぬれる。人形の目。見ることが失われた。せかいは目の内側に入り込んだ、自分もまた目の内側に入り込んで、残ったのはなかったものだけ。見ることが失われたとき、ていねいに折りたたまれたハンカチを、母親が静かに引き裂いた。

2021/10/03

 彼は川で、対岸を見ている。その向こうの山。空。雲は夕闇にほどけて、消えかけている。水の音がずっと聞こえる。流れ。彼はさらに向こうを見る。日は落ち、飛行機雲が金色に線を描く。すべては夜になる。ぼくが彼を見かけたとき、彼は薄暗がりのなかで、まだ空を見ていた。
 ああ、もう戻れない、と彼は思う。これっぽっちも動けそうにないんだ。なにもかもが見えなくなり、それがほんとうの見るということだと、彼は悟り澄まして、干からびていくような心地がしたものだ。どんな音も、ずっと聞いていると聞こえなくなる。彼はポケットから絵の具を取り出す。その絵の具が何色だったのか覚えていない。手のひらにすべてを出し、左の頬を塗った。
 明るくなってから、暗くなり、火と水が等しく混ざりあい、あらゆる対するものがひとつになろうともがき、くるしみ、頬のあざやかな赤が、画面いっぱいに映し出される。
 生徒たちは、寝ていたり、机の下で漫画を読んでいたり、大福を食べていたり、配ったプリントを粉々に引き裂いていた。部屋の隅に水たまりがあって、天井の黒いしみから、ぽたぽたと水が垂れている。外は嵐だ。映像は裸の女を写す。生徒たち、とくに男子生徒たちの目の色が変わる。しかしそれは、マネキン人形だった。ズームアウトしていくにつれ、腕と脚がありえない方向へ曲がっているのがわかり、関節部から、血が滴っていた。
 先生は言う。「この世界に意味はないと、誰かが言ったとして、それを真に受けるにしても、じっと耐え、意味を見出そうとするにしても、きみたちの運命は、この映像の中にある。映像というのものは、すべての解体されたもののなかで、もっとも構築されたものだが、神や、その正反対のもの、あるいは森や海、石や雲、◯◯や△△、わずかに接近し、同時に突き放すもの同士、そこから文字があふれるにせよ、イマージュが溢れるにせよ、すべては決まっている。きみたちの声、きみたちの若い性器、きみたちの情熱、きみたちの絶望、すべてはこの中にある。すべてはこの中にある。すべてはこの中……」
 ひとりの生徒が突然立ち上がり、拳銃を校長の脳髄に向ける。一ミリたりともずれていない、と先生は思う。
「なにもかもが引き裂かれた、終わりにしよう、わかってる、ぼくらもまた、映像のなかの人間であることを。それを甘んじて受け入れて、すべてを終わりにしよう。そこから始まるのだから」
「始まらないさ」校長は自ら舌を噛んで絶命した。

 1994年、彼は産まれた。